大判例

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高松高等裁判所 昭和32年(う)368号 判決

まず、弁護人の論旨第一点について検討するに、原判決が公務執行妨害罪を認定したのは、以下述べるとおり、事実の誤認である。

原判決挙示の証拠並びに司法警察員に対する被告人の昭和三一年一一月一日付の供述調書の記載と当審における事実取調の結果とによると、次の事実、即ち、

被告人とかねてから面識のあつた新居浜警察署東町巡査派出所勤務の愛媛県巡査一色武雄(昭和二年七月三〇日生)は、昭和三一年一〇月三〇日夜、かねてから懇意の間柄である新居浜市新須賀町八七四番地特殊飲食店新居浜ホテル快楽の経営者坂根満亀子から、同ホテルに勤めていた接客婦池田幸子外一名が俗にいう足抜をする気配があるが、どうしたらよかろうか、と相談を受けたので、非番の折柄、右池田幸子等と面談すベく、同日午後九時過頃同ホテルに赴き、同女等との面談等をしていたこと、同日午後一一時頃から前記派出所勤務の愛媛県巡査近藤登重が警邏の為同ホテルに来ていたこと、一方、被告人は、同夜友人神野欣一外三名と共に飲酒の上、同人等を遊興に誘い、自らは、当時同ホテルに接客婦として勤めていた被告人の情婦藤田ツヤ子(当時二九年位)を相手に遊興すべく、翌三一日午前一時頃右友人四名と共に同ホテルに赴いたところ、当時泊りの遊客満員の為、同ホテルの女中から、遊興を断わられ、帰つてくれ、と云われたのに立腹し、同女中に対し、戸を開けろ、等と大声を発し、かつ、同ホテル玄関横の閉つていた、勝手口の戸を足で蹴り、大きな音をたて、強いて右女中をして右戸を開けさせて、右友人等と共に右勝手口内の廊下に上り、右女中等に暴言を吐いていたところ、当時同ホテルの帳場に居た前記一色武雄及び近藤登重は、右物音等を聞き、直ちにまず一色武雄が、続いて近藤登重が右廊下に立ち出で、一色武雄において、被告人に対し、今晩はもう女も居らんし、お前も酔うているのだから、帰らんか、と云うたのに対し、被告人は、わしは電話をかけておいたから来たのだ、エミ子(前記藤田ツヤ子のこと)を呼べ、わしは泊りに来たんじやけん、帰れとは何事ぞ、等と云うて、これを肯んぜず、両人の押問答となり、そこへ右藤田ツヤ子が二階から降りて来て、被告人に対し、おとなしく帰るように云うたところ、被告人は、お前はのいておれ、等と云うて、同女の頬を手で一回殴つたので、一色武雄は、被告人に対し、女をたゝいては、いかんじやないか、と云うと、被告人は、わしの女に手をかけるのが、何が悪いか、等と応酬したので、一色武雄は、被告人を制止すべく、両手で被告人の肩を押したところ、被告人は、廊下が滑らかであつたせいもあつて、その場に倒れたが、同人から、いらつしやい、いらつしやいと手を上げてさし招き、又壁に押し付けられる等の嘲弄的態度に出られたので、酔余憤激の余り同人に対し、おどれ(「おのれ」との意味)男勝負じや、やつたろう、来い、等と云うと、同人は、おゝ、やつたろう、外へ出え、ミーよ、やるんなら、出ろ、等と云うて、屋外に出るべく、前記勝手口に向つて行つた際、被告人は、素手ではかなわないと考え、突如同ホテル調理室に走り込み、同室内水屋の抽斗から庖丁一挺を取り出し、同室入口附近において、被告人を追いかけて同所に来ていた同人を、右庖丁で突き刺し、因つて同人を死亡するに至らしめたこと、

以上の事実が認められる。

右事実に基いて考えるに、凡そ、酔客が大声を発して勝手口の戸を蹴つて屋内に立入り、暴言を吐き、情婦とは云え、接客婦の顔面を殴打する等の所為に出た場合、警察官が、その者を制止して帰宅を促すことは、一応警察官職務執行法第五条にいう犯罪の予防及び制止に該り、警察官としての職務範囲に属するものと云わなければならない。然し、前認定の如く、その度を越えて嘲弄的態度を示し、求められて男同志の勝負に応ずるが如き態度に出でたことを考えるときは、これ等一連の行為は、最早公務執行の域を脱して一個人の私的行為と化し、その行動は単なる私人間の斗争に終始したものと認めるのを相当とする。

さすれば、原判決が被告人の行為を目して公務執行の妨害と認定した点は、事実誤認であるという外はない。

(裁判長判事 玉置寛太夫 判事 安芸修 判事 小川豪)

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